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クリストファー・レンシング博士 Christopher Rensing – [DEV] Disabled in STEMM

Disabled in STEMM

クリストファー・レンシング博士 字幕テキスト

あなたの障害についてお話しください

レンシング博士:遅発性の神経障害で、主に足と膀胱に影響があります。「遺伝性の痙性対麻痺」という診断がついていますが、今かかっている神経科医は、痙攣性はないので、多分違うだろうと言っています。とにかく、足と膀胱に影響する神経疾患の一種ですが、はっきりした原因は特定できていません。進行はゆっくりしていて、最初は時々つまずくようになり、だんだん悪くなって、10年ほど前からは歩くのも難しくなって、スクーターに頼るようになりました。今は電動スクーターを使っています。とにかく長く、ゆっくりと進行してきたんです。

インタビュアー:最初につまずくなどの症状に気付いたのはいつ頃ですか? かなり若いときからですか?

レンシング博士:だいたい20代の終わりくらいだったと思います。27、8歳くらいかな、はっきりしたことは言えません。デトロイトでポスドクをやっていたときにかなり悪くなりました。医師の友人に「医師に診てもらったほうがいい」と言われ、いろんな医者にかかりました。最初は多発性硬化症だと思われたのですが、その後、メイヨ―クリニックで遺伝性痙性対麻痺という診断を受けたんです。ですが、それに対して現時点で特に何かやれることがあるわけではないんです。神経科医に時々診てもらって、新しい治療方針を提案されることもあるんですが、あまりこだわっていません。治療法を探すために自分の時間を無駄にしたくないのです。

あなたの障害は生物学者として仕事をするうえでどんな影響がありますか?

レンシング博士:実験室の仕事は私の学生たちやポスドクの研究員たちがやってくれます。私も学生やポスドク時代は実験をやってましたが、教授になればそういう仕事は減っていきます。もちろん私は今も実験室にはいます。学生たちが作ったプレパラートを確認しなくてはなりませんし、彼らが正しく手順どおりにやっているか見届ける必要もありますから。実験室の仕事にかかわってはいますが、実際の作業をするのは学生たちです。

インタビュアー:障害があることで学会への参加や移動に影響が出ることもありますか?

レンシング博士:ありますね。どのくらい遠くまで行くかにもよりますが、日本にも中国同様に高速鉄道があるでしょう? 高速鉄道のいいところは、地下鉄と同様、スクーターで直接乗り込むことができることです。これは助かりますね。飛行機に乗る場合だと、特に遠距離を移動するとき、必ずビジネスクラスをとらなくてはなりません。そのほうが私が動きやすいからです。アメリカに行くときとかですね。そういう意味では大変ですね。いろんなハプニングにも備えておかねばなりません。例えば「あなたのスクーターのバッテリーを機内に持ち込むことはできません」とか言われるんです。いきなりそんなこと言われてもどうすればいいのか。でもそういうことは起こるんです。信じられないかもしれませんが、私は万一のために、世界中にスペアのバッテリーを用意しています。何かあったら誰かが空港に来て、「バッテリーを持ってきたよ」と言ってくれる。そういう工夫が必要なんですよ。

大学ではどんな合理的配慮を受けておられますか?

レンシング博士:キャンパス内にある自分の部屋はふたつの部屋をつなげたもので、スクーターで入れるような大きな浴室があって、そこでシャワーを浴びたり入浴したりできます。その他の部屋も動きやすいように十分な広さが確保されています。部屋は1階で、建物の入り口にはスロープがあり、おかげで生活するには何も困りません。職場でもバリアフリーのトイレがあります。もちろん私の研究室は1階にあります。ここではエレベーターがしばしば止まってしまうので、8階にいてエレベーターが動かないなんてことになったら大変ですからね。(キャンパス内には)まだ私がアクセスできない建物がいくつかあります。何とかしてほしいですが、50年代、60年代に建てられたものですからね。でも、全体としては、すぐ呼べる運転手もいますし、彼は私のことをよく知っていて、スクーターのたたみ方もわかっているので、どこにでも行くことができます。福州市内に行きたければ、彼に「ここに行って、あそこに行って」と指示すればいいので、そういう意味ではとても満足しています。

インタビュアー:その配慮についてはご自身が対応してほしいと申し出たのですか? それとも大学側から?

レンシング博士:キャンパス内のアパートは大学から提供されたわけですが、私のための特別な配慮として大幅な改修工事が必要だったので、専門家を呼んでやってもらわなければならず、それについては私のほうから要求しました。中国では障害者や障害学生を見かけることはほとんどありませんから。3万人いるこのキャンパスで障害のある学生はたったひとりしか見かけたことがありません。私が知る限りそんな状況なんです。おそらく日本はもっとアメリカに近い状況だと思いますが、アメリカでは電動スクーターに乗って移動している人をキャンパス内で見かけることは珍しくありませんでした。でもここではめったにないことなんです。

障害をもちながら中国の研究機関で働くのはどんな感じですか?

レンシング博士:中国と西欧諸国とを比較して最も明らかな違いは、研究室に拡大家族のような関係性があることですね。長い時間一緒に過ごし、一緒に出掛けて食事をし、悪名高きKTV[注:カラオケ店]に出掛けてカラオケをしたり、山歩きをしたりするんです。西洋では仕事とプライベートがもっと切り離されていますが、ここではその境界があいまいなんです。それは私にとってはありがたいことで、みんなよく私の面倒を見てくれます。私には「アイ」[注:「おばさん」という意味]と呼ばれるお手伝いさんがいて、週3回やってきて洗濯や掃除をして、週に1度は料理もしてくれますが、私の限られた中国語では医師の予約を取るのも学生に頼らねばなりませんから、そういう意味では中国文化にも良い面があります。

しかし、伝統的に障害者は家族の世話になるのが当たり前で、多くの障害者は外に出て生活しようとしません。私は外に出ていくにも何をするにも不安はないです。きっと文化的な違いなんだと思いますが、もっと多くの人が外に出ていけたらいいのにと思います。最近は、地元の人たちにスクーターのことを聞かれることが増えて、「うちの80代の父の体が弱ってきてね」などと言われますが、そうした人たちが外に出る可能性につながるかもしれません。私の経験で言えるのはそんなところです。

インタビュアー:それではあなたがキャンパスにいることが、そうした文化に影響を与えている、障害者に対する人々の態度に変化を及ぼしていると感じますか?

レンシング博士:そうだといいんですが、正直なところ、私の電動スクーターを見ても、「変わったスクーターだな」と思うくらいで、私が障害者とは気づいていないようです。ほとんどの人が、単に、変わった小さなスクーターを乗り回している外国人と思ってるだけだと思います。ですから、もっと多くの人に私が障害を持っていることを知ってほしいです。他の障害者を励ますために発言しています。何物も恐れずに人生を謳歌してほしいと。(障害を負うことで)自信を喪失したり、うつになったりということは起こります。それは自然なことです。私自身、自分の障害をどのように理解したらいいのか悩んで、しばらくの間うつになっていたことがあります。どうしてこのようなことになったのか、と。でも、今は、人々が私が特別教授であることを知って、「彼にそれができたなら自分にもできるんじゃないか」と思ってくれるようになることを願っています。

キャリア半ばで障害をもった人へのアドバイスは?

レンシング博士:私がどのように病気と向き合ったかというと、理学療法、医師の診察、鍼治療といったものがあります。しかし一方で、うつや絶望感といった心理的な問題にも対応しなくてはなりません。誰もがそういうものと向き合わなければなりませんが、中でも障害者に特有な悩みは同じ立場の人のほうがよく理解できるかもしれません。それではどうしたらいいでしょうか。

私は、少なくとも心理療法を試してみるべきだと思っています。臨床心理士でも精神科医でも、自分に向いていると思う専門家に診てもらうといいでしょう。専門家に助けを求めることはいいことだと思います。自分の気持ちに正直になって話せるからです。不愉快なことや恥ずかしいと思うことは、そういう専門的な場で話したほうがいいと思います。とても大事なことです。

どうやったら諦めないでいられるか。ちょっと日本的な考え方かもしれませんが、子どものころ私は柔道をやっていました。そのあとはボクシングもやっていたのですが、これらのスポーツでは、倒されてしまえば負けです。でも、大事なことは再び立ち上がろうとすること。障害をもったときも同じなのです。もちろん人生のどの場面にも応用できることですが、障害者として私が言えるのは、症状が悪化したときには挫折感を味わいます。運動をすると一層悪くなることがあります。本来なら練習すればどんどん良くなるのに、いくら頑張っても悪くなる。悪くなるのを遅らせているかもしれないけれど、フラストレーションがたまります。それでも繰り返し立ち上がるにはどうしたらいいのか?

でも、あなたの周りにいる人たちもあなたと同じように苦しんでいることに気づいてください。痛みと苦しみは人生の一部なのです。あなたと同じ悩みではないかもしれませんが、愛する人を失ったり、病気になったり、事業に失敗したり、いろいろあります。障害はそんな人生の様相のひとつなのです。いいものではありませんが、その中でベストを尽くすだけです。一方で、素晴らしいキャリアを目指すことはできます。競争に負けず、自分の夢を果たすことは不可能ではない。身体的な障害は数ある困難のひとつにしかすぎませんから。でも、率直に言わせてもらえば、(障害について)何のマイナスの影響もないと言ってしまうのは私は好きじゃない。影響はありますよ。しかし、それを乗り越えることができるんです。ですから、私は、中途障害をもった人たちに対して、「倒れても立ち直る力を持ちなさい。人に会いなさい。同じような逆境を経験した人たちに会って、助けを求め、努力を重ねて、自分の領域で一番を目指しなさい」と言いたい。それが私の目指していることです。私は秀でていたいと思っています。「まあまあ」じゃダメなんです。トップを目指す、それが私の生き方なんです。