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ヒーラット・ヴァーメイ博士 Geerat Vermeij – [DEV] Disabled in STEMM

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ヒーラット・ヴァーメイ博士インタビュー 字幕テキスト

あなたご自身についてお話しください

ヴァーメイ博士:私の名前はヒーラット・ヴァーメイです。オランダ生まれです。生まれて間もなく私の視力がとても悪いことがわかり、3歳で完全に失明しました。これまでに何度も手術を受けてとても痛かったことを覚えています。オランダでは初めから盲学校に通っていましたが、9歳の時に家族でアメリカに移住した後は公立の学校に通いました。そこからプリンストン大学に進学し、大学院はイエール大学で学びました。イエール大学で妻のイーディスと出会ったんです。結婚して49年になります。私は物心ついてからずっと科学や自然に関心を持っていて、自分が何になりたいか幼いころから分かっていました。

盲目の海洋生態学者としてフィールドワークをすることについて

インタビュアー:ご著書を読ませていただいていちばん驚いたのは、あなたが世界中を旅して、目が見える人でも危険な最果ての地まで出掛けていることです。研究のためにフィールドに出かける時にはどのような支援が必要ですか?

ヴァーメイ博士:どんな科学者でも、フィールドに出る時は仲間と行くべきです。安全確保のためにね。私も誰かと一緒に出掛けることは必須で、多くの場合私の妻が同行してくれます。でもこの仕事を始めたばかりの頃は、よく地元の人たちに頼んでいました。フィジーでは、14歳の少年に頼みました。彼はとてもよくやってくれました。ひとたびフィールドに出たら、私はほとんど1人で行動することができるんですが、それでも誰か一緒にいてくれたほうがいいです。研究対象を見つけたり、周囲の環境を教えてもらったりするだけでなく、野外研究では誰でも様々な仕事をしてくれる助手が必要だからです。その点では特別なことはないと思います。

インタビュアー:そうですか。でも大自然の中に出かけて行くのは怖くないですか? 目が見える人にとっても危険で怖い体験だと思うのですが。

ヴァーメイ博士:もちろん怖いですよ。例えば波がとても高いときとかね。ジャマイカでは、フォート・ポイントという崖を訪ねましたが、そこは波がとても高いことで有名で、私が行ったのは比較的穏やかな日でしたが、もし大きな波が来て海に投げ出されたら、おそらく溺れていたでしょうね。ですからもちろん怖いですよ。日本のずっと南に位置する北マリアナ諸島のパガンという島では、とても滑りやすい溶岩でできた岸壁に上陸することになり、操船していた人から、「私が飛べと言ったら飛んでください」といわれました。船が(溶岩に叩き付けられて)壊れないようにするにはそれしかないのです。それはとっても怖い経験でしたが、うまく行きました。他にも何度もそういう状況に出会っています。ある時は、武装した人たちに行く手をふさがれたこともあります。相手が何をするかわからず、とても危険な状態でした。同様のことがインドネシアでもフィリピンでも、西アフリカのシエラレオネでもありました。とても危険な目にたびたび遭いました。相手が人の場合も自然の場合もあります。でもリスクは引き受けなければなりません。何か面白いことをしようと思ったら、リスクを引き受ける覚悟が必要です。

著書に「特別な力を持つ手」(原題)というタイトルを付けたのはなぜ?

ヴァーメイ博士:一つの感覚が失われたら、当然他の感覚を総動員してその埋め合わせをしますよね。触覚はその一つです。私の両親や兄は、オランダにいる時からなんでも見せてくれました。私は彼らを24時間のツアーガイドと呼んでいます。本当に何でも見せてくれて、何でも触らせてくれたんです。触ることができないものについては説明してくれました。おかげで私は早くから、ものに触れてその違いや共通点を見つけ出すのがうまくなりました。質感の違いや大きさの違いやいろんなことです。自分の指では届かない内部の状態を観察するためのテクニックも開発しました。その後、何度か視覚障害のある中学生に貝の話をする機会がありましたが、そのとき彼らが触って観察するスキルを全く持っていないことに驚きました。これは非常に重要なことです。私がやっているような科学は、自分で直接観察することが欠かせません。どんな感覚を使おうとかまいません。触覚でも音でも臭いでもなんでもいいのです。非常に早い時期からすべての感覚を研ぎ澄ましてきたことが研究の助けになっています。

インタビュアー:そうですか。今、机の上とかお手元に貝殻はありませんか?

ヴァーメイ博士:ありますよ。

インタビュアー:実際にあなたがどのように手を使って貝殻を観察するか見せてもらえますか?

ヴァーメイ博士:ほら、ここにあります。見えますか?

インタビュアー:はい、もうちょっと持ち上げて。はい、そこで結構です。

ヴァーメイ博士:これはVasum turbinellus(コオニコブシ)。フィリピン産です。突起がたくさんついた素敵な貝です。初めにやることは、全体を触って、形や大きさなどの概要を把握します。さらに細かく見ていくと、[注:右手で巻き貝を持ち、左手の人差し指で開口部をなでながら、]ほら、ここにひだひだがあることがわかります。それでこれがオニコブシ貝の仲間であることは分かりますが、ひだひだの数がどれだけあるかはすぐにはわからないので、針か何か細長いものを持ってきて、開口部の内側の指が届かないところがどうなっているか観察します。さらに外側のディテールについても、爪の先を使って、細かいひだひだやざらつきを感じ取ります。こうやって私は貝を観察するんです。ところが子どもたちにこれらの貝殻を持たせてみると、ほんの数秒だけ触ってすぐに置いてしまうのです。それではだめで、もっと注意深く観察しなくてはいけないのです。私のこれまでの経験からすると、時間をかけてあるいは回数を重ねて観察すると、そのたびに何か新しい発見があります。ですから、触覚を用いた観察は、注意深く綿密なやり方をしなくてはいけません。

インタビュアー:ということは、今の視覚障害のある子どもたちは、手で観察する方法について十分に教えられていないのですね。

ヴァーメイ博士:その通りです。そして私がいつも言っているのは、手で観察すること、あるいは耳で観察することは、一つのスキルなのです。しかも教育全般において、そうした観察のスキルは無視されています。盲人の教育だけでなく、すべての人の教育でね。ある日バス停にいたら、とてもきれいな声で鳴いている鳥がいました。そのバス停にいた何人かに、イーディスと私が「きれいな鳴き声ですね」と言ったら、皆「何のことですか?」というんです。鳥の声は誰の耳にも聞こえたと思いますが、誰も関心を持っていなかったんですね。観察というのは関心を持つということで、スキルとして習得すべきものなのです。

障害があるからこそできる研究とは?

ヴァーメイ博士:いくつかありますね。別の貝を持ってきます。ちょっと待っててくださいますか。

インタビュアー:もちろんです。

ヴァーメイ博士:この二枚貝が見えますか?

インタビュアー:少しだけ下げて下さい。もうちょっと。それで結構です。完璧です。

ヴァーメイ博士:私は最近短い論文を発表したんです。そんな重要な発見ではないけれど、非常に興味深くて、まだ完全には解明できていないんですが。この貝には小さなひだひだが横向きについていますが、このひだひだは非対称なんです。貝殻をこちらに向かってなでると、反対方向になでたときよりなめらかなんです。つまり、これは「逆ラチェット構造」と呼ばれるもので、とても珍しいのです。この貝の化石は、フロリダのCaloosarca(アカガイ)属rustica科の貝で、この特徴にこれまではどの研究者も気づいていなかったのです。でも私の手には明らかな違いとして感じられ、そのことを目が見える同僚たちに指摘すると、皆確かにそれが見えるのですが、誰もそれまで気づかなかったのです。また、何度か博物館に目が見える同僚と一緒に出掛けて、例えば「この唇歯(巻貝の殻口部の突起)に気が付きましたか?」と聞くと、「全然気が付かなかった」と言われるようなことが何度もありました。ですから目が見える人よりも私にとって明らかな特徴というのがあるんです。隠れているものではないので、私が指摘すれば皆それが見えるのですが。他にも例があります。これは友人と一緒に研究して論文にしたんですが、私が針で貝殻の中をつついて「水管溝に沿って凹凸があるね」というと、彼は「そんなの見えないよ」というのですが、外からは見えるはずがないのです。「じゃあ、このスタイラス(尖った棒)を使って中を探ってみて」というと、彼も「ああ、君の言うとおりだね」と。このように、私は他の人が気が付かない小さなことを気づくこともよくあるんです。同じようにやれば他の人たちも気づくはずなんですけどね。

インタビュアー:そうですか、すごいですね。自然や科学に関心を持っている、目が見えない子どもたちにとって勇気づけられるお話ですね。

ヴァーメイ博士:他にも例がありますよ。多くの植物の葉には細かい毛が生えていますが、そうした毛の生え方も非対称なことがよくあります。私は植物も好きなんですが、一部の植物では、葉の毛は先端の方に向かっているのに、茎では毛が下向きに生えていて、どこかで毛の向きが反転しているのです。そのことも誰も気づいていませんでした。

インタビュアー:どうしてそうなっているのか、理由はわかったんですか?

ヴァーメイ博士:私には仮説があって、それを検証したんです。(カリフォルニア大学)デイビス校の同僚で昆虫学をやっている研究者たちと検証して、その仮説が正しかったことを論文にしました。もし葉っぱを食べる虫がいたら、植物はなるべく早くその虫を追い出したいですよね。(その毛の向きにより)虫は葉の先端の方に移動しやすくなっているのです。逆に、茎を登ろうとすると、下向きに生えた毛のせいでうまく登れないのです。私たちは実際にこのことを毛虫で検証したのです。

盲目の科学者を取り巻く環境は、お若い頃と比べてどう変わりましたか?

ヴァーメイ博士:大きな変化として2点あります。もっとも重要なのはコンピュータでしょう。今は誰でもコンピュータを使います、私以外はね。皆スクリーンを見てプログラムを読みます。変わったことのもう1つは、少なくとも教育の場において、障害者センターなど支援のための特別なプログラムが数多くできて、提供されるようになったことです。ただ、私個人についていえば、そういうものがなかったことが幸いしたと思っています。私はやりたいと思ったことを自由にできたし、他人から何をしろとかいつやれとか言われることもありませんでした。例えば課題や論文や本を読み上げてくれる人が必要だったら、クラスの仲間に「僕は朗読ボランティアに払うお金を政府からもらっているんだけれど、誰かやってくれないか?」と言えば、必ず誰か見つかったものです。いつも必ず見つかる。それで私は妻と出会いました。彼女が朗読者になってくれたんです。ですから、個人的には社交的な利点もあったんです。特に私のような引っ込み思案な人間にはとても助かりました。

合理的配慮に関して、これまでの勤務先はどこも、半日勤務のアシスタント雇用を認めてくれ、彼らが読み上げてくれる1万本を超える膨大な量の科学論文をもとに、私は点字でメモを取り、これまでに読んだ書物についての膨大な点字ライブラリを作り上げました。おかげで論文や著書に、様々な言語の、異なる時代の膨大な数の文献を引用することができるのです。こうした配慮は私にとって欠かせないものです。大いに時間を節約することができますから。もし私が自分でコンピュータを使って同じことをしようとしたら、10倍くらいの時間がかかったでしょう。単にものを探すだけでなく、実際に論文に目を通すとなると、目が見える人の方がずっと早いし、探しているものを見つけるのも、私よりずっと早いです。ですから、そうした配慮は重要です。

支援技術(assistive technology)は確かにありがたいものですが、だからといって、人の手による助けに頼っていけないということではありません。そもそも支援技術が得意としないこともあるのは事実です。フィールドワークや博物館のコレクションを使った研究など、私がやってきたことです。支援技術でも、特に古い手書きの標本ラベルを読むことなどはできません。それが馴染みのない場所にあったりすると、どうしてもアシスタントの助けが必要です。多くの目が見えない人たちは、支援技術があることで、人の手を借りてこそできることもあると気づかないのではないかと思います。

視覚障害者が生物学を学ぶ際に障害になるものは?

インタビュアー:長い研究者人生の中で、視覚障害のある大学院生や若い研究者と一緒に仕事をされたことはありますか?

ヴァーメイ博士:それがないのです。なぜなのかはわかりませんし、私が望まなかったわけではないのに、一度もありませんでした。実のところ、視覚障害の子たちで生物学や地質学を志す人はごく少数です。たまに入門コースを受講する人もいますが、私が知る視覚障害者で科学の道を選ぶ人の多くは、コンピュータか物理寄りの研究領域に進んでいますね。(カリフォルニア大学)デイビス校にも知っている(視覚障害の)学生がいましたが、彼は化学、確か立体化学のほうに進みました。生物学となると多くの視覚障害者の守備範囲外になるようです。

インタビュアー:それはフィールドワークが必要だからですか?

それもあるかもしれませんが、今は生物学と言っても実験生物学が主流ですからね。もちろんそれも必ずしも多くの視覚障害者が選べる道ではないですが。私にはなぜそうなのかわかりません。ただ実態としてそうなんです。絶対的な障壁があるというわけではないと思いますが、人々が障壁があるように感じている、あるいは視覚障害者自身が「これは自分には向いていないだろう」と思いこんでいるのかもしれません。もう一つの理由として、フィールドワークは常に危険を伴うので、多くの親や教師や事務方の人間が、少なくともこの国では訴えられることを恐れて、そういう危険を冒すことに反対するのかもしれません。そのせいで多くの人がフィールドワークを諦めてしまうのではないでしょうか。表立って否定はしないかもしれませんが、(障害者が)ケガをすることを恐れて、あれをしちゃダメ、これをしちゃダメと言いがちです。幸い私の親やオランダ時代の先生たちはそうではありませんでした。彼らは棘だらけのバラの茂みも私に見せて(触らせて)くれて、それがどんなものかわからせてくれたのは素晴らしいことでした。以前、目の見えない女性が訪ねてきたとき、私はヒイラギの葉を観察していました。ヒイラギというのは棘のある灌木で、葉には棘があります。そこで彼女に「ヒイラギの葉に触れたことがありますか」と聞いたのですが、「一度もない」と答えたんです。ヒイラギなんてどこにでも生えてるんです。ただ彼女の周りにいた人たちが、それを彼女に見せて(触れさせて)あげなかったということなんです。きっと棘で彼女が痛い思いをしたらいけないとでも思ったんでしょう。馬鹿げたことですが、この思い込みが今もって存在する障壁なんだと思います。

理工系領域での成功を目指す視覚障害者へのアドバイスは?

ヴァーメイ博士:3つのことが挙げられます。科学者として働きたいのであれば、第一に、強い好奇心が必要です。第二に、必死で努力しようとする意志です。目が見えていてあなたと同程度に賢い人より、たくさんの努力が必要なのは当然です。第三に、観察するためのスキルを身につけなくてはなりません。持てる感覚を最大限に生かしてね。研究を進めるうえで、何が重要で何が重要じゃないかを直感的に見極めなければなりませんから。少しでも早くから始めたほうがよく、その意味では私がごく若い時に失明したのはある意味幸運だったのかもしれないです。ずっと全盲の学生として教育を受けたので、点字を読むのも得意です。ここで点字の重要性を強調しておかねばなりません。もし点字がなかったら今の仕事はできません。だから点字を学ばない視覚障害の子どもたちは不利な状況に置かれていると私は思います。

それができる人にとっては、科学者はとてもやりがいのある仕事です。本当に素晴らしい職業だと思います。少なくとも私にとってはそうでしたし、これからもそうでしょう。これまで本当に楽しんできましたし、私は今も自然が大好きです。ですから私にとって素晴らしく充実した人生でしたし、他の視覚障害のある人たちも同じような人生を送れないはずはないと思います。ただ、どんな職業にも言えることですが、たくさんの努力が必要です。またそれをやり遂げるためにはある種の直観力と才能が必要ですが、もしあなたにそれがあるなら、やってみる価値は十分にあると思います。